町田絲店の歴史

町田絲店は創業1864年という長い歴史の中で糸、紐に関する技術力を高めてきました。
現在では伝統の技術を継承しながら、お客様一人一人に合わせた商品を提案。
日々の信頼を積み重ね、常に新しい商品に挑戦していくことで、
お客様と町田絲店のこれからの100年を紡いでいきたいと考えております。
初代町田徳之助は24才で当時は浅草黒船町という名であった現在の場所にて糸商を始めた。主な商品は絹糸で、藤田屋を名乗る。
2代(25才)東京貯蔵銀行支店を厩橋の店舗の隣に新設した。
(現在の東京厚生信用組合店舗の場所)
5回目の火災。
日本メリヤス(株)を創立、監査役となる(後に相談役、明治29年解散)。
2代(29才)千住馬車鉄道(株)の整理に着手、7年間その管理にあたり社長となる。
2代(57才)関東大震災のため厩橋の店舗は全焼、松田町の人絹製造所は山津波で埋没、鎌倉七里ヶ浜に避暑中の妻子のうち三・四男は圧死する。また支配人大川直久は被服廠に避難中行方不明。このような悲惨事にも負けることなく再建に専念した。青年時代からの禅の修養が役に立った。
11月 五男 勉が生まれる。
2代徳之助(60才)11月 東京人造絹糸吉原工場が竣工した。
4月 資本金1,000万円にて東京人造絹糸株式会社を創立する。本社を厩橋の町田絲店内に置き、徳之助が社長に就任した。
常務に次弟藤掛与左衛門、取締役に義弟町田徳蔵、渡辺定二、監査役には甥若林亀之助がそれぞれ就任した。
天下一印絹ミシン糸の標語を募集。「笑顔で縫える」が当選、記念売出しを行う。
7月、町田商事仙台営業所を新設する。
3月 元町田商事常務三島定雄死去(59才)。
4月18日椿山荘において町田100周年記念祭を催す。
(縁故関係者のみ)
5月26日、社長町田徳治死去。享年61才。
6月、町田絲店社長に町田寿子就任。
6月、町田商事社長に町田治郎就任。
10月、町田絲店社長に町田保徳就任。
町田商事、手編製品のマーク「ウィンザーマーチ」を採用。
町田絲店、資本金3,000万円に増資。
現在の新ビル落成、創業120周年。
4月、町田治郎社長就任。
町田ビル1階店舗リニューアルオープン。
「老舗の技を現代にいかしつつ、新しい物作りにも挑戦する」という町田絲店のコンセプトショップとして生まれ変わる。
11月1日、町田俊治社長就任。
前社長町田治郎 駒形南町会、町会長就任。
4月、株式会社二徳商會創業100周年を迎える。
町田俊治、東京青年会議所台東区委員会 第37代委員長に就任。
町田治郎、50周年を迎えた東日本繊維資材商業協同組合理事長に就任。
9月、東京インターナショナル・ギフト・ショーに出展。
Trying to Next 100 Years
これからも皆様と共に…